波乗りでん助

~ サーフィン総合研究所 ~

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’09ザ・エディの脇田プロにインタビュー。感謝の気持ちと悔しい気持ちが残った。

12月 18th, 2009 · No Comments

ザ・エディ招待出場の重責をきっちりこなした脇田プロ。日本サーフィンの歴史と文化を未来へと繋いだ。
5年ぶり8度目の開催となったことで大群衆が詰めかけたワイメアベイ。ジャパニーズサーファー脇田はザ・エディの檜舞台でモチベーションの高さと鍛え上げたスキルを充分に発揮してくれた。20ftのビッグウェイブを舞台に世界一の大波乗りを決めるザ・エディ。世界から集まったスターサーファー、ビッグウェイバー、プロサーファー、そしてレジェンド。脇田のパフォーマンスもキラキラと輝いていた。
大会後数日してから脇田プロにインタビュー。まずは大役を果たした気持ちからうかがった。
「今でも信じられないんですけど、憧れのサーファー、偉大なレジェンドと一緒にサーフィンできたことへの感謝の気持ち。それと120%もっと出来たという悔しい気持ち。この2つが残ってます。悔しさで言えば、1ヒート1時間でマキシマム4本の波しか乗れないんだから、乗らずに我慢して、乗る波をもう少し選んでやれば良かった。感謝の気持ちを言えば、エディのコンペティターとしてヒートで沖にいる時は本当に晴れ晴れと気持ちよかった。今までの自分の歴史の中でも想像すらしなかった感激のシーンでした。ケオニ・ダウニングさんは1990年のエディウィナー。ブライアン・ケアウラナさんは自分が18歳の時にマカハにステイしたときの恩人で、ハワイアンサーフィンを教えてくれた人。ギャレット・マクナマラさんは誰もが知るビッグウェイバー。俺にパイプを教えてくれたリアムさんの兄貴で昔から熱いチャージでサーファーのあるべき姿を教えてくれました。そのギャレットさんが海の中で、脇田がエディ招待の指名を受けた3年前はかなり心配したけど、今年の脇田のワイメアの実力は俺が保証すると言ってくれたんです。この一言にも感激しました。」
あのギャレットさんが脇田プロを認めましたか。で、エディ当日の朝はどんな気持ちでむかえたんですか?
「たまに入ってくるセットはでかいけど、自分ではエディはやらないと思いました。だから普段通りに夜明けと同時に海に入りました。それでしばらくしたらウォータパトロールが来て退去するように命じられたんですけど、その時ピークにいて凄いセットを喰らって。それをどうにかこらえてインサイドに入っていったら、そこでもまたセットが入って来て、今度はちょうどインパクトで凄い巻かれ方でした。それでビーチに戻って来た時に大会がオンされたことを知ったんです。でも、やらないよりかずっとまし。岸からビデオチェックしてくれていたシェイパーのウェイドさんのアドバイスで、自分としてはいつもと違うけど、裏の波よりもセットの最初の1本目の波を狙うことに決めてました。」
1ヒート目はセットが少なくあっという間に終わりました。午後の2ヒート目はどんな気持ちで臨みましたか? 最後の4本目にシェーン・ドリアンときわどいシーンがありました。
「最初のヒートではタイミングを逃したり、乗り間違えたりしたんで、今度こそ大きい波を狙っていくことをきめていました。最後の波はドリアンさんがパドリングしているのが最初から見えていたんですけど、乗ってドロップしたらラインがクロスして、そのままではクラッシュしてました。狙っていた波でしたけど、自分はプルバックしたほうが良かったというのが今の気持ちです。あそこはシェーンに行かせて、裏の波に行った方が良かったんじゃないか。ヒート時間も充分に残っていたんです。」
リスペクトして、さらにリスペクトして自分は後で行く。脇田プロならではのサーフィンスタイルであり試合運びですね。さてエディ出場を終えて、これでパイプラインだけでなくワイメアと、ビッグウェイブライディングという新境地への道が開けましたね。
「パイプラインと一緒で怖い部分はありますが、これからもっとワイメアでも頑張っていくつもりです。エディ前日はクローズアウトするベイに昼から午後3時半すぎまで入って7本乗れました。波が20ftを超えると迫力が桁違いになる。水の量と波の分厚さがハンパじゃない。でかい海にボードと一緒に放り込まれた感じ。9’6”のワイメアガンが小さく短く感じるほどです。」
エディ出場という大役を果たし、ワイメアが楽しくなってきた。脇田プロの表情からは笑顔が溢れていた。

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